お久しぶりの理由。 細菌性髄膜炎
こんにちは。
先日、文化祭のことをちょろっと書きましたが・・・
定期的に不在がちになってしまってスミマセン。
春先から色々なことがありました。
私信になってしまうので、読み飛ばしてもらっても構わないです。
私の母は、7年ほど前に「細菌性髄膜炎」で倒れました。
(結果論です)
嘔吐と下痢で、近くの病院を受診し脱水が激しいため入院。
点滴治療を受けていましたが、容体は変わらず。
翌日せん妄が出るようになり(身の置き所がない様子で病衣などを脱いでしまう)、
あれ?なんかちょっとおかしいな。
と思っていました。
実際、入院のストレスで一時的にせん妄が出る方は結構多いです。
母の場合も、そのように見られたのでしょう。
ところが、意識状態がどんどん悪くなる。
3日目に、大学病院へ転院しました。
髄液検査で細菌性髄膜炎と診断されて、抗生物質の大量投与が始まりました。
少し、遅かったんですね。
脳にダメージを受けたため、呼吸中枢が抑制されて、自発呼吸が難しくなりました。
命をつなぐために、人工呼吸器をつけて。
生命の危機は脱しましたが、呼吸機能が戻る見込みはなく、呼吸器ははずせない。
いわゆる、植物状態です。
救急医療が終わり、維持期に入るため、一般病院に転院。
その後、呼吸器装着でも対応してもらえる慢性期(療養)病棟へ転院しました。
それでも、1年、2年と経過するうちに追視をしたり、時々笑顔が見られるようになりました。
会話はできないけれど、何か話そうとしているようなときもありました。
ムラがあるので、ずっと目を開けない日もあれば、笑顔が見られる日もある。
父は週に2~3日くらい、お見舞いに通っていました。
子どもたちも、時々会いに行っていました。
私は結婚・出産後も正社員で働いていたため、特に長女はおばあちゃん子です。
母も、長女のことは特別だったと思います。
今年の3月に、貧血が進んで、3回ほど輸血を行いました。
ほどなくして、腸に腫瘍が見つかりました。
おなかを触ってわかるほどのもの。
CT検査で、大腸に腫瘍が確認されて、おそらく悪性だろうと。
(療養病棟のため、組織検査などの詳細な検査はできていません)
臨床的に大腸がんと診断されました。
痛みだけは取り除いてもらうように配慮していただいて。
8月3日に、母は亡くなりました。
穏やかに逝ったと思います。
父の気持ちは「どんな形でも生きていてほしい」
私の気持ちは「早く管を抜いて自由にしてあげたいな」
結局、どちらが本人にとって良かったのかわからない。
ずっと、ずっとわからないままです。
ただ、やっと、家に帰ってこれたな、と。
連れてきてあげられたなと。
悲しい思いもあったけど、私個人的には、安心したと言うか・・・
父がお見舞いの回数を増やすため、また、自宅のリフォームや役員の関係で自身が多忙になったこともあり、ずっと続けてきた仕事を5月末で退職しました。
初の専業主婦(笑)
役員についてもちょうど春が多忙だったこともあり、タイミング的には辞めて良かったのですが。
そんな、半年間でした。
思えば今年はお別れの年だな・・・
気持ちの整理も、時間もできたので、ブログも再開しようと思います。
お休みしている半年間も、色々ありました。
順次、更新していけたらと思います。
コメント、ありがとうございます。
中等教育学校、中高一貫校についてはなかなか情報が少ないです。
あくまでも、私個人の視点ですが、これからもお付き合いいただけたら嬉しいです。
では、また!!
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先日、文化祭のことをちょろっと書きましたが・・・
定期的に不在がちになってしまってスミマセン。
春先から色々なことがありました。
私信になってしまうので、読み飛ばしてもらっても構わないです。
私の母は、7年ほど前に「細菌性髄膜炎」で倒れました。
(結果論です)
嘔吐と下痢で、近くの病院を受診し脱水が激しいため入院。
点滴治療を受けていましたが、容体は変わらず。
翌日せん妄が出るようになり(身の置き所がない様子で病衣などを脱いでしまう)、
あれ?なんかちょっとおかしいな。
と思っていました。
実際、入院のストレスで一時的にせん妄が出る方は結構多いです。
母の場合も、そのように見られたのでしょう。
ところが、意識状態がどんどん悪くなる。
3日目に、大学病院へ転院しました。
髄液検査で細菌性髄膜炎と診断されて、抗生物質の大量投与が始まりました。
少し、遅かったんですね。
脳にダメージを受けたため、呼吸中枢が抑制されて、自発呼吸が難しくなりました。
命をつなぐために、人工呼吸器をつけて。
生命の危機は脱しましたが、呼吸機能が戻る見込みはなく、呼吸器ははずせない。
いわゆる、植物状態です。
救急医療が終わり、維持期に入るため、一般病院に転院。
その後、呼吸器装着でも対応してもらえる慢性期(療養)病棟へ転院しました。
それでも、1年、2年と経過するうちに追視をしたり、時々笑顔が見られるようになりました。
会話はできないけれど、何か話そうとしているようなときもありました。
ムラがあるので、ずっと目を開けない日もあれば、笑顔が見られる日もある。
父は週に2~3日くらい、お見舞いに通っていました。
子どもたちも、時々会いに行っていました。
私は結婚・出産後も正社員で働いていたため、特に長女はおばあちゃん子です。
母も、長女のことは特別だったと思います。
今年の3月に、貧血が進んで、3回ほど輸血を行いました。
ほどなくして、腸に腫瘍が見つかりました。
おなかを触ってわかるほどのもの。
CT検査で、大腸に腫瘍が確認されて、おそらく悪性だろうと。
(療養病棟のため、組織検査などの詳細な検査はできていません)
臨床的に大腸がんと診断されました。
痛みだけは取り除いてもらうように配慮していただいて。
8月3日に、母は亡くなりました。
穏やかに逝ったと思います。
父の気持ちは「どんな形でも生きていてほしい」
私の気持ちは「早く管を抜いて自由にしてあげたいな」
結局、どちらが本人にとって良かったのかわからない。
ずっと、ずっとわからないままです。
ただ、やっと、家に帰ってこれたな、と。
連れてきてあげられたなと。
悲しい思いもあったけど、私個人的には、安心したと言うか・・・
父がお見舞いの回数を増やすため、また、自宅のリフォームや役員の関係で自身が多忙になったこともあり、ずっと続けてきた仕事を5月末で退職しました。
初の専業主婦(笑)
役員についてもちょうど春が多忙だったこともあり、タイミング的には辞めて良かったのですが。
そんな、半年間でした。
思えば今年はお別れの年だな・・・
気持ちの整理も、時間もできたので、ブログも再開しようと思います。
お休みしている半年間も、色々ありました。
順次、更新していけたらと思います。
コメント、ありがとうございます。
中等教育学校、中高一貫校についてはなかなか情報が少ないです。
あくまでも、私個人の視点ですが、これからもお付き合いいただけたら嬉しいです。
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